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新潟地方裁判所 平成2年(ワ)215号 判決

原告

神林奈々子

右訴訟代理人弁護士

鈴木俊

中村周而

金子修

被告

新潟市

右代表者市長

長谷川義明

右訴訟代理人弁護士

伴昭彦

主文

一  被告は、原告に対し金八五五四万四九三九円及びこれに対する昭和六二年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は五分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し金一億三六二五万一〇〇〇円及びこれに対する昭和六二年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 原告(昭和三三年六月九日生)は、短大卒業後、幼稚園教諭として稼働していたものである。

(二) 被告は新潟市紫竹〈番地略〉において新潟市民病院(以下「被告病院」という。)を設置、運営するものであり、西田和男(以下「西田医師」という。)、小池哲雄(以下「小池医師」という。)の各医師(以下二人を「担当医ら」という。)の使用者である。

2  本件手術の経過

(一) 原告は、昭和六二年一〇月七日午前八時頃、激しい頭痛に襲われたことから、被告病院で脳神経外科医である西田医師の診察を受けるとともに、腰椎穿刺検査を受けたところ、髄液が血性であり、脳内出血が疑われたため、直ちに被告病院に緊急入院した。その後各種の検査の結果、原告の小脳から脳幹にかけて脳動静脈奇形(以下「AVM」ともいう。)があり、その一部から出血し、くも膜下出血を起こしていることがわかった。

(二) AVMとは、限局した部位の動脈と静脈が毛細血管を介さないで直接吻合している先天的な疾患であり、流入動脈から未分化の異常血管が腫瘤状にとぐろを巻いた部分(この部分を「ナイダス」という。)を経由して直接流出静脈につながっているものをいう。AVMは、静脈圧の上昇により静脈の拡張等を来し破裂して脳内出血を発生させたり、ナイダスの部分の抵抗が少ないため脳血流がそこに集中して盗血現象を起こし、周囲の脳に虚血性の変化を生じさせたり、癲癇発作の原因となるものである。

(三) 原告は、入院後、脳内出血量も比較的少量であったことから、各種治療の結果、同年一一月下旬ころまでには、引き続き入院はしていたものの後遺症もなく通常の生活が送れるまでに回復した。

(四) 原告は、主治医である西田医師より、原告にはAVMという疾患があり、再出血する危険があること、再出血を防ぐためには開頭してAVMを摘出することが考えられるが、原告の場合、AVMの位置からして摘出術は難しいから、人工的塞栓術(以下「塞栓術」または、「血管内手術」という。)を受けるよう勧められ、これに同意した。人工的塞栓術とは、大腿動脈からAVMの流入動脈までカテーテルを導入して、疾患部位に塞栓物質を注入することにより、奇形部分への血流を阻止し、ナイダスからの出血を防止しようという治療である。

しかし、西田医師は、原告やその両親に対し、疾患部位の血管を閉塞させるとの説明はしたが、塞栓術のリスクや根治的な治療にはならないことなどの説明はしなかった。

(五) 被告病院の要請を受けた新潟大学付属病院脳神経外科の医師である小池医師は、西田医師ら立会いの下、同年一二月一日午後二時頃から、原告に対して塞栓術を始め、同日午後四時五五分ころ、上小脳動脈付近にバルーンカテーテルを挿入して液体塞栓物質であるシアノアクリレートを注入したところ、その直後に原告は左上肢硬直、全身痙攣を起こすと同時に意識レベルが低下し、昏睡状態となった。

(六) 原告は、その後も意識不明のまま人工呼吸器で生命を維持する状態が続いたが、昭和六三年二月二五日には人工呼吸器を取り外し、また、平成元年五月一七日長野県下の鹿教湯病院に転院した。

(七) その後、原告は、平成二年六月一一日まで、同病院に入院して各種リハビリを受けたが、左同側性半盲、眼球運動障害、仮性球麻痺、左片麻痺、右小脳失調、右半身感覚脱失等、身体障害者第一級の後遺症が残った。

3  後遺症の原因

原告の後遺症は、担当医らが人工的塞栓を行った際、誤って塞栓物質を正常な椎骨脳底動脈に流入させて血流不全を起こし、脳梗塞を生じさせたため、後頭葉から脳幹にかけての広範な神経の損傷を惹起させたからに外ならない。

4  担当医らの過失

(一) 人工的塞栓術の不適応

担当医らは、原告のAVMの二本の主要な流入動脈のうち、上小脳動脈について塞栓術を実施してナイダスの三分の一ないし二分の一でも閉塞させれば、ある程度出血の危険を減らすことができ、社会的にも意義があると考え、本件手術を実施しているが、塞栓術の適応は、①ナイダスを完全に閉塞して完全に治癒させる目的のとき(但し、完全に閉塞しても再開通等の問題があるとの指摘がある。)、②摘出術及び放射線照射の前処置としてナイダスを小さくする場合にあり、主要な流入動脈のうち一部について塞栓術を実施しても、将来出血する危険を抑えることはできないから、出血の危険を抑える目的で行った本件手術は、治療としての意味をなしておらず、原告に本件手術の適応があったとは認められない。

(二) 説明義務違反

(1) 患者は、医師の治療を受けるに先立って、医師から、患者の現状、実施が予定される医療行為によってもたらされることが予想される結果(実施予定の医療行為の性質、侵襲の性質・程度、範囲、実施予定の医療行為がもたらすであろう治療効果の性質・程度及びその確率、実施予定の医療行為に付随する危険ないし合併症の性質・程度及びその確率)、実施予定の医療行為以外の代替可能な医療行為の存否及びその医療行為によってもたらされることが予想される結果、実施予定の医療行為をしなかった場合に予想される結果について、十分な説明を受け、治療行為を決定する権利を持つ。

(2) 仮に、原告に本件手術の適応を認める見解があったとしても、①右のような見解は科学的に十分に裏付けられたものではなかったし、反対の意見も有力であったこと、②塞栓術は新しい治療法であって、画期的な治療方法であると高く評価する者がある一方、直視下で行うものではないため、ちょっとしたカテーテル操作のミス等により塞栓物質の注入位置や注入量を誤った場合には、塞栓物質を正常血管に注入し、脳梗塞等の重大な合併症を招く危険な治療であることが指摘されており、また、長期の観察例にも乏しいことから、その評価自体定まった治療ではなかったこと、③AVMに対し特に治療を行わなかった場合の危険性は、未だ完全な解明がなされているわけではないが、出血率は概ね年間二ないし三パーセントと言われており、原告はAVMから出血はあったものの、被告病院における治療の結果、後遺症等もなく通常の生活が送れるまでに回復しており、緊急に手術を受ける必要は全くなかったこと、④本件手術は、AVMの流入動脈の一部を閉塞してナイダスの一部を潰す手術であり、そもそもAVMを根治させる治療ではなかったことなどを考えれば、担当医らが、本件手術を行うには、右に指摘した点を原告に十分に説明して、その同意を得ることが必要不可欠である。しかるに、担当医らは、右に指摘した点について何の説明もしなかった。原告は、右の点について、担当医らからきちんと説明を受けていれば、治療としての有効性について重大な疑問がある本件手術に同意することはなく、ひいては原告に重い後遺症が生ずるという事態も生じなかったことは明らかである。

(三) 手技ミス

人工的塞栓術を行う際に、誤って塞栓物質を正常な動脈に流入させることがあることはすでに知られていたことであり、術者としては、誤って塞栓物質を正常な動脈に流入させることがないよう細心の注意を払ってカテーテルの操作をすべきであるところ、本件においては、バルーンが反対向きになったか、バルーンの先に開けたピンホールが塞がり、バルーンが過膨張して破裂したかは特定できないものの、バルーン内にシアノアクリレートを注入すれば血管撮影によりバルーンが反対向きになったことも過膨張していることも当然に気付かなければならないにもかかわらず、これに気付かずに漫然と塞栓物質を注入して、本件事故を発生させた小池医師には過失があると言わざるを得ない。

5  被告の責任

担当医らは、被告病院の勤務医であり被告の経営管理する被告病院においてその事業たる治療行為として本件手術を行ったのであるから、担当医らの使用者である被告は、民法七一五条に基づき、本件手術により原告が被った後記損害を賠償する義務がある。

6  損害

(一) 慰謝料

原告は、本件手術により前記の後遺症を負い、生涯にわたって自力歩行が不能になり、常に介護を必要とする状態となった。その慰謝料額は、金二五〇〇万円を下らない。

(二) 休業損害

原告は本件手術当時幼稚園教諭として稼働しており、年額一七二万三〇〇〇円の収入があったところ、昭和六二年一二月一日から平成二年五月三一日までの二年六か月にわたって休業しており、休業損害は四四七万九八〇〇円となる。

(三) 逸失利益

原告は、現在三一歳で前記のとおり年額一七二万三〇〇〇円の収入があったが、今後生涯にわたって稼働不能であるから、その逸失利益は、新ホフマン式により中間利息を控除して算出すると、次の算式のとおり、三四九三万三八二五円となる。

1,723,000円×20.275=34,933,825円

(四) 家屋改造費

原告は車椅子の生活を余儀無くされ、自宅も車椅子生活に合わせて改造した。右の費用は合計一三〇二万八〇〇〇円となる。

(五) 入院雑費

原告は、昭和六二年一二月一日から平成二年五月三一日までの合計九一三日間にわたって入院しており、一日一五〇〇円として、入院雑費の合計は一三六万九五〇〇円となる。

(六) 現在までの付添費用

原告は前記のとおり常時介護を必要とするもので、この間主に原告の母が付添いをしてきた。一日あたりの付添費用は、原告の症状からして金五〇〇〇円が相当である。よって、昭和六二年一二月一日から平成二年五月三一日までの付添費用は四五六万五〇〇〇円となる。

(七) 将来の付添費用

原告は前記のとおり常時介護を必要とするもので、今後将来にわたってその必要がある。原告の平均余命は五一年であり、一日あたりの付添費用は原告の症状からして金五〇〇〇円は下らない。よって、将来の付添費用は、新ホフマン式により中間利息を控除して算出すると、次の算式のとおり、四五五八万八五〇〇円となる。

5,000円×365×24.98=45,588,500円

(八) 弁護士費用

原告は、原告訴訟代理人に対して、本件訴訟の報酬として損害の約一割にあたる金一二〇〇万円を支払うことを約した。

7  結論

よって、原告は、被告に対し、民法七一五条に基づき、以上の合計金一億四〇九六万四六二五円のうち金一億三六二五万一〇〇〇円、及び同金員に対する不法行為の日である昭和六二年一二月一日以降支払い済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1(一)の事実は知らない。同(二)の事実は認める。

2  同2(一)ないし(六)の事実は認め、同(七)の事実は知らない。

なお、西田医師は、原告のAVMの位置、大きさ、予後等を説明するとともに、AVMの治療方法としては摘出術、放射線療法、塞栓術があること、原告の場合AVMの位置からして摘出術は危険であること、塞栓術の具体的実施方法について説明している。塞栓術に特に危険な合併症はないと考えられていたため、合併症の説明はしなかった。

3  同3の事実は知らない。

原告の後遺症の原因ははっきりしないが、昭和六二年一二月一六日、原告に対し腰椎穿刺検査を行ったところ、キサントクロミーが見られたことからすれば、AVMのナイダスから脳幹実質内に出血があった可能性も否定できない。

4  同4(一)、(二)、(三)のいずれも否認する。

(一) 塞栓術の適応について

担当医らは、原告のAVMの治療につき新潟市内の著名な病院の医師らと協議し、原告の場合、AVMの位置からしてナイダスを開頭して摘出すること(摘出術)は侵襲が極めて大きく危険も大きいことなどから適当ではないが、原告の年齢が若いことやAVMが脳幹部分にあり、今後再出血があったときには命にかかわることも十分に考えられることから、保存的治療ではなく、血管内手術を施すことにした。塞栓術は原告の主張するような評価の定まっていない危険な治療方法ではない。担当医らは、原告のAVMは上小脳動脈と後下小脳動脈の二本を主要な流入動脈とするものであり、血管の形状から塞栓術により後下小脳動脈を閉塞するのは難しいが、上小脳動脈を閉塞させれば、摘出術が可能かも知れないし、将来放射線療法も可能かも知れないと考え、血管内手術を実施したものであって、本件手術によりナイダスが完全に閉塞して根治するとは考えていないし、本件手術を最終の治療と考えていたわけでもない。患者の容体というものは刻々と変化していくものであって、治療の方法というものも、その時その時の患者の状態によって決定していくべきものであることを十分に考慮する必要がある。後下小脳動脈が残っていたとしても、国立循環器病センターの米川泰弘医師の手によれば摘出術を行うことも不可能ではない。また、放射線照射による治療としても、ラジオサージャリー(ガンマーメス)を実施している病院は当時日本にはなかったが、日本から患者をスウェーデンのカロリンスカ病院に送り、同方向による治療を受けさせている医師はいたし、一般の放射線照射による治療を行っている医療機関もあった。

また、本件手術を行った当時としては、AVMのナイダスの一部を閉塞しただけでも出血率が下がると一般に考えられていたものであるから、担当医らが出血率を下げる目的で本件手術を実施したのは、当時の医療水準としてはやむを得ず、担当医らに過失があったとは認められない。

(二) 説明義務違反について

本件手術を行った当時の医療水準の認識としては、塞栓術について大きな合併症の危険性は知られておらず、塞栓物質が逆流して正常血管を閉塞するなどという事故が発生することは予見不可能であったのだから、担当医らに右のような合併症が発生する危険性について説明する義務はない。すなわち、本件手術を行った当時は、デブランが一九八二年に塞栓物質が逆流して正常血管に入ることを指摘している程度であって、具体的な合併症の報告等もなかったから(血管内手術に伴う合併症の詳しい報告が出たのは本件から二年後の一九八九年に至ってからである。)、塞栓術に合併症の危険を伴うことは臨床医一般に知られていたとはいえない。また、合併症の危険を殊更に説明すれば、いたずらに患者を恐怖に陥らせて、治療が不能になるといった事態を招きかねない。

(三) 手技ミスについて

本件において塞栓物質が注入予定の場所より心臓よりの正常動脈に入ってしまった原因ははっきりしないが、バルーンカテーテルの先端が小さな枝血管に頭を突っ込んでバルーン先端の穴が塞がれて破裂した、あるいは血管の屈曲部で何らかのアクシデントが起こり、突然バルーンの向きが変わったというようなことが考えられる。担当医らは、塞栓物質注入の直前まで血管造影をしてバルーンが正常の位置にあることを確認しており、したがって、仮にバルーンの向きが変わった、あるいはバルーンが破裂したという事態が生じていたとしても、それは塞栓物質の注入の直前に生じたものであって、担当医らとしても回避しようがなかった。また、本件事故当時、塞栓物質が逆流して正常血管に入るといった事故の具体的報告はなかったから、担当医らは、本件のような事故をそもそも予見することができなかったと言わざるを得ない。

5  同5の事実中、被告が担当医らの使用者であること、担当医らが被告病院においてその事業たる治療行為として原告に対し本件手術を行ったことは認め、その余は争う。

6  同6の事実はいずれも不知。

7  同7は争う。

三  被告の主張に対する反論

1  塞栓術の適応について

原告に対し摘出術の適応がなかったことは認める。本件手術当時、わが国にはラジオサージャリーは導入されておらず、一般の放射線照射による治療もほとんど実施されていなかったことからすると、担当医らとしては、近い将来放射線照射などによる治療が可能になるかも知れないとの希望的観測の下で本件手術を行ったものであって、具体的に次の治療として予定していたとは認め難い。将来の出血を抑えるために、部分的塞栓術を行う実益はないという見解は本件手術当時からあり、また、そもそも出血する危険を抑えられるという見解は科学的に裏付けられたものでもなかった。したがって、担当医らが、部分的塞栓術を実施することにより将来出血する危険を抑えられると考えたことは、本件手術当時の医療水準からしてもやむを得ないものとは言えない。

2  説明義務について

担当医らに求められるべきことは、本件で具体的に発生した塞栓物質が逆流するという結果やその詳細な機序などではなく、塞栓術に伴う合併症として正常血管に塞栓物質を流入させることにより重大な神経脱落症状を生じさせる危険性があるということである。本件手術当時、塞栓物質が逆流する危険があると指摘する者もおり、予見可能性がないとはいえない。

理由

一当事者

被告が被告病院を設置、運営するものであり、担当医らの使用者であること、担当医らが同病院においてその事業たる治療行為として原告に対し本件手術を行ったこと、西田医師は被告病院の脳神経外科に勤務する医師であり、原告の主治医を勤めたこと、小池医師は新潟大学付属病院脳神経外科の医師であり、被告病院の要請を受け、被告病院において原告に対し本件手術を行ったことは当事者間に争いがない。

二本件医療事故発生の経緯

当事者間に争いがない事実、〈書証番号略〉、証人西田和男、同小池哲雄、同神林貞、同郭泰彦の各証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告(昭和三三年六月九日生)は、昭和六二年一〇月七日起床時に激しい頭痛と吐き気に襲われ、同日午前八時半ころ、被告病院救急救命センターで西田医師の診察を受け、腰椎穿刺検査を受けたところ、髄液が血性であり、脳内出血の疑いが持たれたため、直ちに被告病院に緊急入院した。原告には、入院時軽度の項部硬直、眼振、頭痛、嘔気、嘔吐、興奮、混迷等の神経症状が認められ、各種検査の結果、小脳に脳動静脈奇形(AVM)があり、その一部から、第四脳室から小脳に及ぶ出血があり、くも膜下出血を起こしていることが分かった。

2  脳動静脈奇形(AVM)とは、血管の形成・発達過誤のために、脳の動脈と静脈の間に毛細血管を介さない短絡が起こった先天性の疾患であり、流入動脈から未分化の異常血管が腫瘤状にとぐろを巻いた部分(一般にこれを「ナイダス」という。)を経由して、直接流出静脈へとつながっているものをいう。AVMには、大脳半球のほぼ全体を包むような大きなものから小さなものまであり、その位置や大きさはまちまちであるが、ナイダス部分の血流の抵抗が少ないため、脳血流がそこに集中して盗血現象を起こし、周囲の脳に虚血性の変化を生じさせたり、ナイダスや怒張した静脈の圧迫によって周囲の脳に圧迫性病変を発生させ、癲癇発作を招いたり、出血の原因となる。

3  原告のくも膜下出血は比較的軽いもので、鎮静処置、脳圧降下剤の投与、酸素吸入等の処置の結果、原告は、同月一五日頃には眼振や右手指の巧緻性にやや低下が見られるものの坐位が可能となり、更に、同月二〇日頃には特に後遺症も見られず、自力で歩行することができるようになった。

4  原告のAVMは、小脳から上部脳幹にかかるところにあり、上小脳動脈と後下小脳動脈の二本を主な流入動脈とするもので、大きさは四センチメートルを越える中等度のものであった。

5  被告病院の脳神経外科では、新潟大学付属病院の小池医師などと原告のAVMに対する治療の方針について話し合った結果、原告のAVMが脳幹に近い非常に重要な位置にあることや、流入動脈が深部にあり、手術の早期に流入動脈からの出血を止められないことなどから摘出術の適応はないが、原告がまだ二九歳と若く将来が長いこと、AVMが呼吸中枢に近いところにあるため再出血した場合には生命にかかわる事態になりかねないことなどを考慮し、AVMを構成する二本の主要な流入動脈のうち上小脳動脈について、事前に誘発試験を行い、何らの異常も現れなければ、人工的塞栓術を行った方がよいとの判断に達した。人工的塞栓術とは、大腿動脈からバルーンカテーテルを挿入し、AVMの流入動脈までカテーテルを誘導して、ナイダスに塞栓物質を注入して奇形部分への血流を阻止することにより、ナイダスからの出血を阻止しようとするものであり、これを行うには高度のカテーテル技術が必要とされ、血管内手術とも言われるものである。

6  西田医師は、同年一一月九日、原告およびその両親に対し、原告の脳の血管の流れには脳動静脈奇形という疾患があり、今回のくも膜下出血はその異常部分からの出血であること、AVMの治療方法としては血管の異常部分を摘出してしまうのが一番であるが、原告の場合、疾患が脳幹部分にあるため摘出術を行うのは危険すぎること、AVMの治療方法としては摘出術のほかに放射線照射や血管内手術などの方法があることを説明した上、担当医らとしては原告に対し血管内手術の実施を考えていると述べ、血管内手術の方法や血管内手術を実施する前に血管内にバルーンカテーテルを挿入し、バルーンを膨らませて血流を遮断しても、異常が現れないことを確認した上で行うことなどを説明したところ、原告及びその両親もこれに同意した。

7  昭和六二年一一月一〇日、小池医師は、新潟大学付属病院の皆河崇志医師を助手にして、原告に対し、経大腿動脈カテーテル法によりバルーンカテーテルを導入し、バルーンを上小脳動脈に入れ、ナイダスの直前でバルーンを膨らませて血流を一時遮断し、血流を遮断しても脳組織が耐え得るかどうか約一時間に渡ってテスト(balloon occlusion test)したところ、原告の脳神経症状に異常は現れなかった。右のテストを行うにあたり、小池医師は、原告に、試験をして問題がなければ今度は塞栓術をしましょうと述べたが、塞栓術の具体的内容や合併症の危険等については、西田医師から当然に説明を受けているものと考え、特に説明しなかった。

8  同月一六日、西田医師は、テストの結果異常もなかったので、同年一二月一日に血管内手術を行うと述べ、原告及びその両親から最終的な同意を得た。

9  同年一二月一日、小池医師、皆河医師は原告の右鼠径部の大腿動脈よりバルーンカテーテルを挿入して、流入動脈の一つである上小脳動脈の主幹にカテーテルを置き、造影剤によりナイダスの位置を確認するとともに、そのすぐ手前の右上小脳動脈内でバルーンカテーテル先端にとりつけたバルーンを膨らませて奇形部分への血液の流入を止めてこの動脈がAVMのナイダスへ血液を供給している主要な動脈のひとつであること、更に、一、二分間バルーンを膨らませて血管を閉塞させても神経症状等に異常が現れないことを確認した上、カテーテルを前記閉塞試験を行った場所より更に末梢に進め、シアノアクリレート(塞栓物質)0.3ミリリットルとマイオジル(造影剤)0.3ミリリツトルを混合したものをバルーンカテーテルの先端から注入した。

10  前記の閉塞をしたところ、閉塞した地点より近位(心臓より)に動脈の分岐部があり、この分岐部を経由して血流がナイダスに流入していることが判明した。小池医師らは、右分岐部を経由してナイダスに流入している血流も止めなければ予定しただけのナイダスを潰せないことから、右の血管についても塞栓術を実施することが可能かを検討するため、第一回目の閉塞に使ったカテーテルを抜き取り、新たにバルーンカテーテルを挿入してこの動脈の分岐部の直前で止め、第一回目と同様に一時的な血流の遮断試験を行い、何らの異常も現れないことを確認した上、第一回目と同量の塞栓物質等を注入した。

11  すると、右塞栓物質注入の直後に、原告は、左上肢を硬直させ、声を発して全身痙攣を起こすと同時に、意識レベルを低下させて昏睡状態となり、自発呼吸が浅く、瞳孔異常を来した。小池医師らは、直ちに血管内手術を中止し、バルーンカテーテルを回収しようとしたが、カテーテルの回収には抵抗があり、バルーンを焼き切るデタッチシステムを使用してカテーテルを回収しようとしたが、これも機能せず、何とかカテーテルを回収することができたものの、カテーテルの先端のバルーンは破裂していた。他方、西田医師は、これと並行して、原告に対し、気管内挿管をして酸素を吸入させたり、点滴等の緊急措置をとった。

12  原告は、その後五日間に渡って高圧酸素療法を受けるなど各種治療の結果、平成元年一月ころから次第に意識レベルが改善し始め、平成元年五月一七日には長野県下の鹿教湯病院に転院し、平成二年五月三一日にまで同病院に入院して各種のリハビリを受けた。しかし、原告には、左片麻痺、右小脳失調症、眼球運動障害、右半身感覚脱失、左同側性半盲、構音障害等身体障害者一級の後遺症が残り、その後現在に至るまで自宅で療養生活を送ることを余儀なくされている。

三原告の後遺症の原因

〈書証番号略〉、証人西田和男、同小池哲雄、同郭泰彦の各証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告の椎骨脳底動脈には、塞栓物質として注入したシアノアクリレートが流入して血管の一部を閉塞させており、原告の後遺症は、第二回目の塞栓術を施行した際に注入したシアノアクリレートが正常血管である後大脳動脈に流入してしまった結果、脳梗塞を起こし後頭葉から脳幹にかけての広範な神経が損傷を受けたためと認められる。また、原告のAVMの上方内側部には塞栓物質が詰っているものの、AVMの一部は、原告の左脳半球から脳幹にかけて残存している。

右の点に関し、被告は、昭和六三年一二月一六日の腰椎穿刺検査の結果、原告の髄液が透明であったが、わずかにキサントクロミーが見られたこと、本件手術直前に撮影したCT写真で中脳吻側中央部及び右後頭葉に高吸収域が認められることなどからすれば、脳幹実質内でAVMからの再出血があり、後遺症が生じた可能性も否定できないと主張し、西田医師、小池医師もその旨証言している。しかし、西田医師、小池医師の各証言を詳細に検討すれば、両医師とも、正常動脈である後大脳動脈に塞栓物質が流入した結果、原告が脳梗塞を起こしたこと自体は認めているものであって、後遺症の原因も脳梗塞に起因する可能性が高いと証言していること、また、前掲各証拠、特に〈書証番号略〉、証人郭泰彦の証言を総合すれば、本件手術直後に撮影したCT写真上にはAVMから再出血があった形跡はなく、本件で原告に生じたような重大な後遺症を招くような出血部分もないことが認められるから、被告の主張は採用できない。

四被告の責任について

1  人工的塞栓術の不適応の主張について

(一)  原告は、流入動脈の一部を閉塞してもAVMから出血する危険は下がらないから、流入動脈の一部を閉塞する目的で行った本件手術は、そもそも治療として意味をなしておらず、原告に本件手術の適応があったとはいえないと主張する。そこで、まず、担当医らがどのような考えに立って本件手術を実施したかを検討し、担当医らの判断に誤りがあったか否かを検討することとする。

(二)  〈書証番号略〉、証人西田和男、同小池哲雄の各証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告病院の脳神経外科としては、原告の場合、AVMの位置や大きさ、流入動脈との関係からしてそのままの状態で摘出術を行うことは難しいとの判断に達したものの、原告がまだ二九歳と若く将来が長いこと、AVMが脳幹にかかる位置にあるため再出血した場合には生命にかかわる事態になりかねないことを重く見て小池医師と塞栓術による治療が可能かどうかを協議したこと、小池医師としては、原告のAVMが上小脳動脈と後下小脳動脈の二本を主要な流入動脈とするものであり、上小脳動脈については塞栓術の実施が可能であるが、後上小脳動脈についてはバルーンカテーテルを挿入することが技術的に難しく、同動脈について塞栓術を実施することはできないと見たが、原告のような小脳のAVMを保存的治療に委ね、特に治療を行わなかった場合にはその予後が極めて不良であると指摘する論文があったことなどから、上小脳動脈について塞栓術の実施をし、ナイダスの三分の一ないし二分の一程度を破壊することができれば、将来の出血の危険もある程度下げることができ、塞栓術を行う社会的意義があろうし、また、将来、放射線照射による治療や摘出術も可能となるかも知れないと考え、本件手術を行った方がよいとの判断に達したことが認められる。

(三)  右の点に関し、被告は、治療というものはその時その時の患者の状態に応じて決定していくべきものであって、担当医らは、本件手術によっても原告のAVMが根治しないことは承知して、本件手術を行った後に摘出術や放射線療法を行うことをも検討していたものであって、本件手術を最終的な治療として行ったものではなく、このことは、西田医師が、塞栓術ができなければ放射線による治療があることを原告に説明していることなどからしても明らかであると主張する。

しかし、〈書証番号略〉、証人西田和男、同小池哲雄、同郭泰彦の各証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、①後下小脳動脈にバルーンカテーテルを挿入することは技術的に困難であり、同動脈について塞栓術を実施してナイダスを閉塞するのは非常に難しかったこと、②上小脳動脈について塞栓術を行い、ナイダスの一部を閉塞しても、後下小脳動脈を残したままの状態で摘出術を行うことは極めて難しく、このような危険な手術を行える医師は日本に一人いるかいないかであったこと、③現在、AVMの治療としては、最も確実に出血等を防止できるといわれる摘出術のほか、結紮術、塞栓術、放射線照射、塞栓術を行った上摘出術や放射線照射を行うなどの方法があり、放射線照射による治療法としては、ラジオサージャリー(ガンマーメス法)と一般放射線照射等の方法があるが、本件手術当時、ラジオサージャリーによる治療を行っているのは、スウエーデンのカロリンスカ病院のみであって、同病院に赴き治療を受けている日本人もいることはいたが、ごく少数にすぎず、一般に行われている治療ではなかったし(同法がわが国に導入されたのは一九九〇年である。)、一般の放射線照射についても、ごく一部の医師が試行的に治療に用いているにすぎず、確たる治療成果が認められるという状況ではなかったこと等が認められる。これらの事実を総合すれば、担当医らに、本件手術に引き続き放射線照射や摘出術等を行う具体的な計画があったわけではなかったことは明らかであり、担当医らとしては、原告に本件手術を実施して上小脳動脈を閉塞させておけば、近い将来、放射線照射などの治療が可能となった段階でAVMの根治が可能となるかも知れないという判断に立ち本件手術を実施したものであって、結局、当面の出血の危険を抑えるために本件手術を実施したとみるのが相当である。

(四)  そして、〈書証番号略〉、証人郭泰彦の証言を総合すれば、放射線照射や摘出術の前処置としてAVMのナイダスを縮小するために行うのならいざしらず、AVMの流入動脈の一部を閉塞してナイダスの一部を潰しても出血する危険を抑制することはできず、現在の医学的知見に立てば、将来の出血の可能性を抑えるために流入動脈の一部について塞栓術を行っても治療としての意味がないことが認められる。

2  本件手術当時の医療水準

(一)  被告は、①塞栓術は、摘出術によっては治療不可能なAVMの治療を可能とした画期的な治療方法であって、危険を伴うものではないし、また、塞栓術に伴う合併症の報告がまとめられたのは平成元年に入ってからであり、本件手術当時は、塞栓術に伴う合併症の危険は知られていなかったこと、②担当医らとしては、原告が若く将来が長い上、原告のような位置にあるAVMを保存的治療に委ねた場合の予後は極めて不良であると指摘する論文があったり、また、再出血があった場合にはAVMの位置からして命を落とすことにもなりかねないことなどを考慮して、本件手術を行ったものであって、本件手術当時はAVMの一部でも潰せば出血率が下がると考えていた者が多かったことを考えれば、担当医らがナイダスの一部を閉塞させることにより将来の出血の危険を抑制できると考えて、本件手術を実施したことは当時の医療水準からして非難できないと主張する。そこで、本件手術当時の人工的塞栓術の治療としての評価、合併症、適応に関する知見等を検討し、本件手術を行った担当医らの判断が当時としては相当であったか否かを検討する。

(二)  人工的塞栓術

〈書証番号略〉、証人小池哲雄、同郭泰彦の各証言を総合すれば、次の事実が認められる。

人工的塞栓術とは、大腿動脈からカテーテルをAVMの流入動脈まで導入して、脳血管を造影した上、塞栓物質を注入してAVMのナイダスを破壊することにより、ナイダスからの出血を阻止しようというものである。本件手術を行った当時は、デタッチシステムのついたシリコン製バルーンカテーテルを用い、液体塞栓物質であるシアノアクリレートを注入するのが、塞栓術の一般的な方法であった。また、AVMの治療として塞栓術が用いられるようになったのは比較的最近のことであり、原告が本件手術を受けた当時、わが国において、AVMに対し塞栓術を用いて治療を行っている医師は非常に少なかった。

(三)  人工的塞栓に伴う合併症

〈書証番号略〉、証人小池哲雄、同郭泰彦の各証言によれば、塞栓術に伴い神経脱落症状等の合併症の発生する確率は、現在、約二〇パーセントと考えられており、うち重篤な合併症は五ないし一〇パーセント発生すると言われていること、しかし、本件手術当時は、デブランが、一九八二年にその論文の中で塞栓術は必ずしも確実なものではなく、完全に塞栓する率は高くなく、その合併症として神経脱落症状が生ずることがあり、原因としては正常な動脈に物質が入ってしまうことや疾患部位から塞栓物質が逆流して正常動脈に入ることがあることを指摘したり、ルーセンホップが、一九八四年にその論文の中で、塞栓術は将来手術不適応のAVMの治療を可とすることが期待されるが、現時点ではリスクを考えると治療として適さないと批判している程度であって、合併症の具体的報告や発生率等をまとめた報告がなかったことが認められる。しかしながら、前掲各証拠によれば、塞栓術は、摘出術によっては治療不可能なAVMの治療を可能にした画期的なもので、少ない侵襲で画期的な治療成果が現れると高く評価される一方、直視下で行うものでないため、カテーテルの操作方法如何によっては重大な神経脱落症状を招く危険があることが当初から指摘されており、実際の塞栓術を考えた場合、①バルーンカテーテルを使用してシアノアクリレートを注入する方法は、ナイダス本体に塞栓物質を注入する過程で、正常血管にも塞栓物質が入り、正常血管の一部が犠牲になる危険は避けられないこと、②AVMの血管走行は非常に複雑であって、術前の血管撮影ですべての血管走行を把握できず、術前に誘発試験を実施して何ら神経症状が出現しなかったとしても、側副血行路がある場合には血流を遮断していたことにはならないため、テストの結果に問題がなかった場合でも、実際に塞栓物質を注入した時点で、何らかの神経脱落症状等が現れる危険は避けられないこと、③血管内手術は直視下で行うものではないし、血管撮影の技術上の問題もあって、すべての血管の流れを把握してカテーテルを制御することは難しく、ちょっとしたカテーテル操作のミス等でカテーテルの向きが逆になったり、バルーンが破裂するなどの事故を起こす危険のあることは明らかであり、小池医師も同様の認識であったことが認められる。したがって、本件手術当時、総合的な合併症の報告等がまとめられていなかったとしても、塞栓術を行う医師には、塞栓術を行う際に塞栓物質を正常血管に流し込むなどして重大な神経脱落症状を招く危険のあることは十分に認識可能であったとみるべきであって、合併症が発生することは予見できないとの被告の主張を採用することはできない。

(四)  人工的塞栓術の評価

〈書証番号略〉、証人小池哲雄、同郭泰彦の各証言を総合すれば、塞栓術は、摘出術によっては治療困難な巨大あるいは深部のAVMの治療を可能とする画期的なものであると高く評価する者がある一方、長期観測例に乏しいのでその評価は定まっていないと指摘する書物や、本件手術と同じシアノアクリレートを用いた塞栓術について、同術は取扱いが難しく(カテーテルとの接着、注入量のコントロールが困難)、栓子内に再開通があること、発癌性が問題になっていること、塞栓後の組織が硬化し摘出が困難になることなどの問題が多く、広く一般には行われていないと指摘する書物が本件手術後においても出版されるという状況にあり、その後の研究成果によって、シアノアクリレートに発癌性はない、組織が硬化して摘出しにくくなるという問題はないなどの報告も出てきているが、何分にも塞栓術が比較的新しい治療方法であって、長期の観察例に乏しいことなどから、その評価は難しく、本件手術当時は、現在よりも塞栓術の実施例も少なかったし、長期観察例にも乏しかったことから、その評価が定まったものではなかったことが認められる。

(五)  AVMに対し特に治療を行わなかった場合の危険性

〈書証番号略〉、証人小池哲雄、同郭泰彦の各証言を総合すれば、AVMを保存的治療に委ね、特に治療を行わなかった場合の予後は、脳動静脈瘤に比べればはるかに穏やかであり、未出血のAVMの出血率は、概ね年一パーセントから五パーセントの間、一度出血したAVMの再出血率は、概ね最初の一年目は六パーセントから一七パーセントの間、それ以後は毎年二パーセントから三パーセントの間と言われている。しかし、AVM患者を保存的治療に委ねた場合の長期の予後については、統計的に満足できるだけの十分な追跡調査が行われておらず、学会でも種々の報告がなされており、定説がないというのが現状である。本件手術当時としては、アイオア大学のグラフが、一九一例を分析したもので、①初回出血の可能性は平均して年間二ないし三パーセントであり、②再出血のリスクは最初の一年間は六パーセント、その後二〇年まで平均して年間約二パーセントである、③初回出血のリスクは小さい病変でより大きいという報告(一九八三年)、ファルツが一三一例について分析したもので、①再出血のリスクは最初の一年間に17.9パーセントで、五年後では年間三パーセント、一〇年後では年間二パーセントである、②AVMの大きさと再出血率には関係がない、③後頭蓋のAVMの予後はその他のAVMと比較して予後が不良という報告、東京大学脳神経外科の落合慈之医師が分析してまとめたもので、①初発症状の如何にかかわらず一度発症した症例は四分の一が四年までに、三分の一が一〇年までに、二分の一が二〇年までに出血あるいは再出血する、②ナイダスが視床、基底核、傍脳室、脳梁、脳幹にあるものは、他のものと比して再出血率が高く、その三分の二が発症後三年目までに再出血が生じるという報告等があったことが認められる。

(六)  人工的塞栓術の適応に関する知見

〈書証番号略〉、証人小池哲雄、同郭泰彦の各証言を総合すれば、塞栓術の適応に関しては、AVMを保存的治療に委ねた場合の長期の予後が必ずしも明らかになっていないことや塞栓術の治療としての評価自体が定まっていないことなどから、医師の間で必ずしもコンセンサスが得られていないのが現状であり、深部あるいは手術困難な部位・大きさのAVMで、流入動脈が単数か、複数でもすべてバルーンカテーテルで到達可能なものとする見解、AVMの予後は脳動静脈瘤に比し再出血率も低く、また、再出血に至る時間的間隔も一般に長いから、外科的治療を行うには十分な慎重さが必要であり、外科的治療の適応としては、①出血を繰り返すもの、②抗痙攣薬でコントロールしにくい痙攣発作が続くもの、③進行性神経脱落症状があるものなどに限定されるが、うち②、③になると相対的なものになるから、慎重な検討が必要であるとするものなど、見解が分かれていること、また、前記のとおり、出血を抑えるためにナイダスの一部につき部分的塞栓術を行うことの有効性は現在では否定されているが、本件手術を行った当時は、被告の主張するとおり、流入動脈の一部を塞栓することにより出血する危険を抑えることができると考えていた医師も少なくなかったこと、しかし、早期から患者をカロリンスカ病院に送るなどしてAVMの治療・研究に従事してきた神保実医師が、昭和六二年発生の「診断と治療・脳血管障害の臨床、脳動静脈奇形」と題する論文の中で、「手術によって病巣を半分除去したとする。そうすると出血のリスクも半分になるかというとそうはいかない。血管撮影上完全に消滅しない限り、将来の再出血のリスクは同じである。」という見解を示すなど、出血の危険を抑えることはできないという意見もあったし、また、出血の危険を抑えられるとの見解が科学的に裏付けられたものではなかったことが認められる。

(七)  以上によれば、確かに、原告のような深部のAVMを保存的治療に委ねた場合にはその予後が極めて不良であると指摘する学者がおり、また、右の見解に従わず再出血の危険は年二パーセント程度としても、一〇年、二〇年といった単位で見れば、やはり再出血の危険が相当に高いことは明らかであって、しかも、再出血が生じた場合にはAVMの位置からして生命を落とす事態すら生じかねないことを考えると、原告が抱えていた疾患は極めて重大であったと言わざるを得ず、担当医らが右の点を重視して、何らかの治療が必要と考えたことは十分に理解し得るところであり、また、前記のとおり、本件手術当時は、ナイダスの一部について塞栓術を行うことにより出血の危険を幾分でも抑えることができると考えていた医師が少なくなかったことを考えると、本件手術の適応に関する担当医らの判断が、直ちに誤りであったとは認め難い。

3  説明義務違反について

担当医らが、本件手術を行うにあたり、原告に対して適切な説明を行い、適法な同意を得ていたか否かについて検討する。

(一)  医師の説明義務一般について

医師は、緊急を要し時間的余裕がないなどの特別の事情がない限り、患者において当該治療行為を受けるかどうかを判断、決定する前提として、患者の現症状とその原因、当該治療行為を採用する理由、治療行為の具体的内容、治療行為に伴う危険性の程度、治療を行った場合の改善の見込み、程度、当該治療を受けなかった場合の予後について、当時の医療水準に基づいて、できるかぎり具体的に説明する義務がある。なぜなら、医療行為は不可避的に患者の身体に対する侵襲を伴うから、これを適法とするには患者の承諾が必要になるからである。

(二)  前記2のとおり、出血の危険を抑える目的でナイダスの一部について塞栓術を行うことに関しては、本件手術当時からその有効性に疑問を投げかける有力な意見があり、そもそも出血の危険を抑えられるという見解自体、科学的に十分裏付けられたものではなかったこと、また、塞栓術自体が新しい治療方法であって、術者が少なく、長期の観察例も乏しくて、その評価が定まっていなかったことからすると、本件手術は試行的治療として行われた側面があることは否定できない。そして、①原告は、AVMからの出血はあったものの、目立った後遺症もなく、日常生活に何の問題もないまでに回復しており、進行性の神経脱落症状や抗痙攣剤でコントロールできない痙攣発作もなかったから、緊急に手術を受ける必要はなかったこと、②AVMを保存的治療に委ねた場合の危険性については必ずしも明らかになっていないが、再出血の危険はそれ程高くないから、塞栓術を含めた外科的な治療は慎重にならざるを得ないという有力な意見があったこと、③塞栓術は非常に高度な手技を要求されるものであって、ちょっとしたカテーテル操作のミスなどで重い合併症が生ずる危険があること、④本件手術によっては、いずれにしてもAVMを根治させることができず、再出血の危険が残ることなどの点を考慮すると、原告に本件手術を行う必要があったかは相当に微妙であって、医師の間でコンセンサスが得られていたとも認め難い。このような点を考慮すると、担当医らが、本件手術を行うには、本件手術の意義、有効性、その合理的根拠(有効性に関する議論の余地がある場合にはその議論の状況)、手術に伴う合併症の有無、手術を行わなかった場合の危険性、他に取り得る治療方法の有無などについて、原告に対し十分に説明し、その同意を得た上で行うことが不可欠であり、同意を取らずに手術を行い不測の事態が生じた場合には、その責任を負わなければならないものと解する。なぜならば、右のような治療としての評価が確立していない治療を受けるのは患者であり、結果の善し悪しにかかわらず治療の末生じた結果を背負っていかなければならないのも患者以外の何者でもないから、医師が患者の自己決定権を無視してこれを行うことは違法と考えられるからである。

(三)  原告に対する説明

〈書証番号略〉、証人西田和男、同神林貞の各証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、西田医師は、昭和六二年一一月九日、原告およびその両親に対し、原告の脳の血管の流れには脳動静脈奇形という疾患があり、今回くも膜下出血を起こした原因は前記疾患によること、AVMの治療方法としては血管の異常部分を摘出してしまうのが一番であるが、原告の場合、AVMが脳幹部分にあって、摘出術を行うのは危険すぎること、特に外科的な治療を行わずに経過を観察していくことも考えられるが、それではAVMからいつ再出血があるか分からず、爆弾を抱えながら生きているようなものであること、AVMの治療には摘出術のほかに放射線照射や血管内手術などの方法があることなどを説明し、その上で、血管内手術を受けるよう勧め、血管内手術の方法や血管内手術を行う前に事前に血管内にバルーンカテーテルを挿入し、バルーンを膨らませて血流を遮断し、異常が現れないことを確認した上で実施することなどを説明して、原告の同意を得た。しかし、西田医師は、担当医らが考えているのは二本の流入動脈のうち上小脳動脈の塞栓のみで、同手術を実施したとしてもAVMの二分の一ないしは三分の二程度が残り、AVMが根治するわけではないこと、すなわち、AVMが残っている以上再出血の可能性は術後も当然に残ること、合併症の危険があること、その他本件手術の有効性や必要性に関しては検討の余地があることなどの説明を一切しなかったことが認められる。

なお、右の点に関し、西田医師は、合併症については、たとえば麻痺がでるとかそういうような表現で説明したはずだと証言している。しかし、証人神林貞の証言及び西田医師の証言内容並びに弁論の全趣旨に照らせば、西田医師は、塞栓術について詳細な情報は持ち合わせておらず、本件手術についても「テストさえすればまず心配ない。」とか、「手術は手術といっても血管撮影の一過程の中で行われるものである。」などとも証言し、手術を行うにあたり原告から承諾書すら取っていないこと等が認められ、これらの事実に照らせば、西田医師としては、誘発試験を行い、何らの神経症状も現れなければ、合併症が生ずることはまずないと考えていたと見られ、右の証言は信用できない。

また、被告は、担当医らとしては、原告のAVMが上小脳動脈と後下小脳動脈の二本を主要な流入動脈とするものであることを認識しており、本件手術によってもAVMが根治しないのは当然で、根治するような誤った説明はしていないと主張する。しかし、〈書証番号略〉及び証人神林貞、同西田和男の各証言によれば、原告は、西田医師から、何らの治療もしなければ爆弾を抱えて生きているようなものだから本件手術を受けるよう勧められたものであって、本件手術を受けることにより爆弾を抱えた状態から解放されるという認識を持っていたのであり、本件手術を受けてもAVMの一部が残り、再出血の危険が残るという認識はなかったこと、西田医師において、原告のAVMは二本の動脈を主要な流入動脈とするとの認識のあったことは事実であるが、西田医師は「後下小脳動脈はたいした問題のある血管ではない。」などとも証言しており、上小脳動脈を閉塞しておけば、将来の出血の危険をほぼ抑えることができると認識していた可能性が高いことなどに照らせば、右の主張は採用できない。

また、小池医師が、本件手術を行うにあたり、原告及びその両親に対し何らの説明も行っていないことは、弁論の全趣旨により明らかである。

(四)  結局、本件では、被告病院が新潟大学付属病院に対し臨時の医師の派遣を求めて本件手術を行う過程で、西田医師と小池医師の間の意思の疎通に欠けた結果、前記で指摘した原告に当然に説明しなければならない重要な点が全く説明されなかったわけで、原告に本件手術を受けるかどうかを判断するための十分な情報が与えられていなかったものと言わざるを得ず、原告から適法な同意を得て本件手術を行ったとは認められない。

4  被告の責任に関する結論

担当医らは、業務上、患者である原告の診察・治療に際し、その診療当時の臨床医学の実践における医療水準に従い、適切な治療を行い、その生命・身体を保護すべき注意義務があるところ、前記のとおり本件手術の有効性や必要性については検討の余地が大きいにもかかわらず、担当医らは、説明義務を尽くさず、原告の適法な同意を得ることなく、本件手術を実施したものであるから、本件手術により原告に生じたすべての損害を賠償しなければならない。また、前記のとおり本件手術の有効性や必要性には重大な疑問があったのであるから、担当医らが説明義務を尽くしていれば、原告が本件手術を受けなかった可能性が高く、本件手術を受けなければ原告に本件後遺症が生じる事もなかったことが認められ、いずれにしても担当医らは原告に生じたすべての損害を賠償する責任があると言わなければならない。したがって、被告は民法七一五条により原告が被った損害を賠償しなければならない。

五原告の損害

1  入院雑費

原告は前記のとおり昭和六二年一二月一日から平成二年五月三一日までの九一三日間にわたって入院生活を余儀なくされており、弁論の全趣旨によれば、雑費として、右入院期間中、一日あたり一五〇〇円程度を支出したものと推認することができる。したがって、原告の入院諸雑費は一三六万九五〇〇円となる。

2  付添(介護)費用

〈書証番号略〉、証人神林貞の証言を総合すれば、原告は本件医療事故により前記の障害を負い、日常生活につき常時介護を要する状態であり、同状態が改善されることはないから、家人等が介護する必要があるところ、障害の程度等に鑑みれば、介護料は、一日あたり五〇〇〇円と評価するのが相当である。そして、原告は、本件医療事故の発生当時二九歳であり、昭和六二年簡易生命表によれば、その平均余命は53.24年であり、少なくとも五三年間の介護費用の出費を余儀なくされるものであるから、ライプニッツ式により中間利息を控除して、その額を算出すると、次の算式のとおり三三七五万〇四五五円となる。

5,000×365×18.4934=33,750,455円

3  家屋改造費

〈書証番号略〉及び証人神林貞の証言によれば、原告は車椅子の生活を余儀なくされ、自宅も車椅子生活に合わせて改造したことにより、合計一三〇二万八〇〇〇円を支出したことが認められる。

4  逸失利益(休業損害を含む。)

〈書証番号略〉、証人神林貞の証言を総合すれば、原告は、本件手術当時幼稚園教諭として稼働しており、年額一七二万三〇〇〇円の収入があったところ、昭和六二年一二月一日に発生した本件医療事故により前記の障害を負い、労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められるから、昭和六二年一二月一日当時の年齢二九歳からの就労可能年数三八年間の逸失利益をライプニッツ式により中間利息を控除して、その額を算出すると、次の算式のとおり二九〇六万三二一九円となる。

17,723,000円×16.8678=29,063,219円

5  慰謝料

原告は、本件手術により前記の後遺症を負い、生涯にわたって自力歩行が不能になり、常に介護を必要とする状態となったものであるから、原告の受けた精神的苦痛を慰謝するための金額としては二〇〇〇万円が相当である。

6  身体的素因による減額

前記のとおり、原告の小脳にAVMがあったため本件手術に至ったわけであるが、本件手術当時としては、原告のAVMを根治させることは難しく、いずれにしても再出血の危険があったことは否定できない。すなわち、原告には、本件手術を受けた場合でも、本件手術を受けずに保存的治療に委ねた場合でも、再出血の危険が少なくとも年二パーセント程度あったことになる。もちろん、原告に再出血があったとしても、直ちに労働能力を一〇〇パーセント喪失するか否かは断言できない。しかし、右のような事情を考慮に入れた上で、損害の公平な分担を図るためには、原告に生じた前記1ないし5の損害総額(九七二一万一一七四円)について、少なくとも二割を減額するのを相当とする。

そうすると、結局、原告の損害額は、七七七六万八九三九円(一円未満切捨て)となる。

7  弁護士費用

原告は、本件訴訟の遂行を原告代理人に委任した。その理由及び報酬としては、本件事案に照らし七七七万六〇〇〇円が相当である。

六結論

以上のとおりであるから、本件不法行為に基づく原告の請求は、八五五四万四九三九円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年一二月一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。

(裁判長裁判官太田幸夫 裁判官戸田彰子 裁判官鈴木桂子)

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